将来、どうなるんだろうか
「不登校」という言葉を、どう捉えるかは自由だと思う。
マイナスなイメージをもつ方は、学校とは通って当たり前、登校することが当たり前な学生時代だったんだろうと思う。
私自身は、別に不登校なんて、どうでもよくて。
自分を守れないなら、学校へ行かないことも選択肢だと思う。
自死するくらいなら、行かないでいいと思う。
でも、社会に出ても、嫌だから行かないでいいのか?と思うと、どうも違ってくる。
自分一人の責任じゃない時。
学校に行かないで迷惑かかるのって、自分自身。
学ぶ機会を捨ててでも、不登校を選ぶ訳だから。
でも、社会にでれば、会社が嫌だから休みますって言えますか?と思う。
周囲に迷惑かけることになるなら、出た方がいいと思う。
それでも、無理して出ることなんて、ないと思う。
契約日に出勤しないとか、アポイントメントを自分から申し込んでおいて約束を反故にするとかは、言語道断だけど。
話が逸れたが、
小学生で不登校をなんだかんだ言っているユーチューバーがいる。
今回、クラウドファンディングをしたらしい。
そして、目標達成。
達成できそうにないときには、
「もしシェアもしてくれへんのやったら、もうそういう人とはええかなって思うし、自分の都合のいい時だけLINEしてきて、こっちがホンマに困ってる時は無視してくるなんて、ほんまの友だちじゃないと思うし、その辺もハッキリさせるチャンスやと思っています」
と言っていたようだけれど、これ、完全に、意味を間違えて捉えている気がする。
まず、
シェアくらいはと考えるのだろうけど、シェアしたくない内容だってあるだろう。
シェアするって、それを応援する訳だし。応援したいとは思わないからって、即友達じゃないってことになるの?って思う。
クラウドファンディング不達成が「ホンマに困ってる時」と言えるのかね。
違うよね。
ホンマに困る時って、こんなチャレンジ云々ってレベルのことを指すんじゃないだろうになって思う。
達成内容にしても、この人が対象とするべき小中学生向けの募集は、全体の1割程度しかないわけで、結局は、この企画自体が、大口の支援者なしでは評価すらされていなかったことの証左だろう。
目標額を達成したことが大事なんじゃなくて、達成するまでの過程で何を学んだか。
そして、目標額を達成した以上は、その企画から何を学んでいくか。
他人に最後まで頼って達成したことの「重み」を感じるべきだろうと思う。
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