だらだらよもぎ月記

日々のことを「真面目に」だらだらと書いています。政治家としての姿勢などについては、思うところがあるので、厳しい発言もするかと思います。あとは、のんびりした日常のひとコマを載せていければよいかなと。

歩行者の事情なんて分からない

私も昔は、憤ることがありました。


赤に変わっても、急がないでゆっくりと歩いていく人に対して。


なぜ急いで渡ろうと思わないのか?と。


若いカップルとかおばさんとかは、そういう傾向が強い気がします。


中には手刀をきって謝意を示しながら渡られる方がいて、逆に慌てずにどうぞと思ったりもするものです。


ですが、今は堂々と歩いている歩行者に対して、なんとも思わなくなりました。


母からの一言がきっかけです。


「まあ、そう言わんの。あの人だって、もしかしたら足が悪くて、早足で歩けないかも知れないでしょ」


ハッとしました。

自分は、その人が足が悪いから早く歩けないのかもしれないとまでは、考えても見なかったからです。


明らかに高齢者で、押し車とかを押しているおばあさんなどは、一目瞭然、歩くのが遅いと見て分かります。


でも、外見は若くても障害を持つ方がいるかも知れない。


まあ、それなら、途中で赤になるかも知れないタイミングで渡るな、という意見もあるでしょうけれど、立てって待つのがしんどい方もあるか知れない。


そう考えていくと、理由はどうあれ、歩行者が渡りきるまで、きちんと待つのが最適解だなと思う次第です。


危なくなかったって、バカなの?

いま、警察の番組を見ていたら、横断歩道を歩いている人がいるのに、減速せずに通りすぎた車の運転手。


歩行者との距離があるから「絶対に危なくなった」って、バカなの?

むかつくわ。


ああいう態度に意識。

自己中も、たいがいにしとけよと思う。


こういうの、車のナンバーとかもモザイク無しでいいんじゃないかと思う。

こういうバカなドライバーが減ればいいけど、バカは直らないんだよね。

事故を起こしてみないと。


それじゃ遅いのに。


運転する資格を剥奪するべきだろう。


マルクスに学ぶ

「カール・マルクス」と書くと、その名前だけで毛嫌いする人がいます。

経済学では、ケインズなど含めて、近代経済学(=近経)の対軸にマルクス経済学(=マル経)というものがあったりして、近代経済学からすれば、マル経は遺産みたいな、終わったものとして扱われることが大半な気がします。


とはいえ、近代経済学であっても、廃れた理論が時を経て復活するなんてことは、よくある話でして。


個人的に、マルクスは経済学として学ぶではなく、経済思想というか、思想家として対峙するべき人物だと思っています。


私自身は、マックス・ウェーバーから多くを学んだ訳ですが。


マルクス=社会主義とか共産主義ってイメージがおぼろ気に頭にある人が、毛嫌いしているのかなと思います。


まあ、共産主義はレーニンの影響もあるでしょうが、そのレーニンでさえ、おそらくどこかしら曲解されている気もしたことがあります。


まあ、日本の共産党はこれまた異質なので論外としますが。


何が言いたいかというと、判断は自由なので、まずは読んでみる。

『資本論』じゃなくてもいいので。


経済学部に入ったら、まずは数学。

文系じゃないので。

高校生は、勉強するなら今のうちに。


先人から学びつつ、それを越えていく。

一点でもよいので、突破する。


そうありたいものです。