だらだらよもぎ月記

日々のことを「真面目に」だらだらと書いています。政治家としての姿勢などについては、思うところがあるので、厳しい発言もするかと思います。あとは、のんびりした日常のひとコマを載せていければよいかなと。

外国人犯罪って、減らせないのか。


いったい、どれくらいの問題ある外国人が日本に入り込んでいることだろうか。


こういう連中を、どうやったら、排除できるのだろうか。


日本で真面目に働いている外国人にとっては、大きな迷惑であろうけれども、こうした記事になる外国人による犯罪は、今後も増え続けるのだろうか。


福岡市長選。
特にアジアの玄関口となる福岡は、どう考えているんだろうか。


ああだこうだ、美辞麗句がならんでいるようだけれども、生活なんて考えていない市長は要らないと思う。

パソコンを自分で使わない大臣

パソコンを使っていない大臣だから、なに?


パソコンを自ら使用しない人がサイバーセキュリティ大臣であることが問題になる、とはどういう理由であろうか。


パソコンを使えないから、サイバーセキュリュティ大臣に不適任であるという理屈が理解できない。


サイバーセキュリティなんぞの専門家じゃなければ大臣になってはいけないのか?


馬鹿じゃないかな。
揚げ足取りもいい加減にしたらいい。

巡り合わせ

人生の転機というものは、かつて幾度もあった。


中学受験、高校受験、大学受験、就職・・・まあ、これらは、社会における「個」としての存在位置についての選択を迫られたタイミング。


そうではなく、個人として悩み考えることや、人生の岐路としての「転機」について、である。


人生の岐路に立つとき、何かしら悩む。何かしら考える。何かしら行動できず、行動したくとも動けない場合もある。


問題なのは、そうした場面に自分が遭遇した際に、どうするか。


一人で悩むか。
誰かに相談するか。


私の場合は、すべてではないが、そのタイミング毎に、助けてくれる人が現れた。
それは、とても幸運だったと思う。


不思議なのは、私が立ち直ったり、危機を脱したら、自然とその人との関係も薄くなり、また以前のような関係に戻る。
ずっと連絡を密にとることがなくなる、という意味で。


なんとなく、それは、必要な時に、必要な人を遣わしてくれているかのような気がする。
それと同時に、自分自身も、その経験を通じて、一歩前進できたから、そう思えるのだろう。


いや、前進したかどうかなんて、分からない。
それでも、自分が必要とするときに、手を差し伸べてくれる人がいた過去は、幸運だったということだろう。


ご縁に感謝する気持ちは、忘れない。