だらだらよもぎ月記

日々のことを真面目にだらだらと書いてみます。

昔、いじめられた記憶

随分と昔のことを思い出した。


いじめられていた子をかばったら、今度は自分もいじめられるようになった。

かばった子は、少しおかしいというと語弊があるけど、ちょっと変わった子だった。

そんな子でもいじめられているのは、見過ごせなくて、かばった。


まあ、それはそれで、ある時に、12対1みたいになって、大喧嘩した。

こちらも頭に来たので、殴りとばす。

けれども、さすがに12人は相手にできない。

狙いを一人、二人に絞って、ぶち殴ることにした。

そうこうしていたら教師が慌てて飛んできて、おしまい。


ホームルームでは、反省の弁を述べさせられ、お互いに謝ったからおわり。


こういうどっちつかずな解決方法って、教師は好きだと思う。

解決になっていないのに。

単なる教師の自己満足だとすら思った。


以降は、ちょっかいを出されることはなかった。


これが小学校。

中学校では、2年の時に、同じような流れでいじめられた(笑)


未成熟な自分は、「内申書」というものが恐ろしく思えて、反撃できなかった。

何かあれば、内申が悪くなる。

そんな気持ちばかりが先行していた。


正直、当時、いじめてきた数人に対しては、殺意に近い感情をもったままだった。

けれども、成人しているのに、殴る訳にはいかない。


復讐するなら、経済的に社会的に。


要するに何が言いたいかというと、

いま、もしも、学校でいじめられて苦しい想いをしている人には、


将来が君を救う


と伝えたい。


学校だなんて、小さな世界。

そんな世界のために、自分の可能性を捨てるなんて、もったいない。

いじめてくるバカどものために、自分自身の価値を否定しないでほしい。


学校なんて、卒業すれば、それでおしまい。

たった数年間の出来事。

その数年が、楽しくなくても、命を捨てる必要はない。


卒業すれば、世界は無限に広がっている。

どの世界へ向かうかは、君次第なのだから。


だから、自分の可能性を信じて、生きてほしい。

学校が嫌なら通わなくてもいいだろう。

その程度なんだよ、学校は。

長い人生の、ほんのわずかな時間のために、自分自身を捨てないで。


ということを、思った。


現に自分は、生きている。

いじめた奴らは、社会的に相手にしない。


バカはバカの世界を生きてりゃいい。

もちろん、許すこともそのうち出来るかも知れない。

だって、そんなバカのために、自分の時間を費やすなんて、もったいないから。


いじめられている人は、どうか、その場から離れてでも、生きていてほしい。